福岡高等裁判所 昭和26年(ナ)21号 判決
原告 沓掛玉利
被告 大分県選挙管理委員会
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
二、事 実
一、原告は、「昭和二十六年四月二十三日執行の、大野町議会議員選挙の当選の効力に関する、訴外足立菊次郎の訴願に対し、被告が同年九月四日なした、原決定を取消し、原告の当選を無効とするとの裁決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、請求の原因として、次の通り述べた。
二、昭和二十六年四月二十三日執行された、大分県大野郡大野町議会議員選挙の結果、最下位当選人たる訴外足立菊次郎、同森進及び原告の三名の有効得票数が、同じであつたため(六十一票)、選挙会において、選挙長がくじにより、原告を当選人と決定し、同町選挙管理委員会は、その旨原告に告知し、かつ告示したところ足立菊次郎は、同月二十六日同委員会に対し、選挙会において無効と決定した投票中、自己の有効投票(以下便宜この一票を甲と称する)存在する旨主張し、当選の効力に関する異議の申立をなしたが、同委員会は、昭和二十六年五月八日異議の申立相立たずとの決定をなした。しかるに、足立菊次郎は、この決定に対し、被告委員会に訴願をなしたところ、被告は、同年九月四日請求趣旨記載のような裁決をなした。
三、しかして、本件における争ある唯一の投票たる甲票は、「アタキタマ」と記載し(但し現在アキタマと記載しあり)あるをもつて、大野町選挙管理委員会は、同町議会議員候補者中に、足立隆吉(たかよし)なる者があるから、同人と足立菊次郎とのいずれを、記載したかを確認し難いものと認め、前記の通り足立菊次郎のなした、異議の申立を排斥したところ、被告は、甲票記載の「アタ」は「アチ」であり、「キタマ」の「タ」は、初め平仮名の「く」を書きこれを片仮名の「ク」に書き改めたものと認め、結局右「キタマ」は「キクマ」と記載されたものと解し、甲票を足立菊次郎の有効投票と認定した。
四、しかし、甲票は、次の理由により無効であり、又足立菊次郎の有効投票と解すべきではない。
(1)「アタ」の「」について。「チ」と書くべきを間違えて、「ナ」を書いた場合は「足立」と推定されるが、「ナ」に態々濁点をつけ、「」と記載しある以上、「足立」とは推定できず、又かりに、推定し得るとしても、候補者中足立隆吉なる者が存するから、無効票と認むべきである。
(2)「キタマ」について。甲票記載の名「キタマ」は、判然と「キタマ」と記載してあり、被告の解するように「キクマ」とは、推定し得ない(被告主張のように、初め平仮名の「く」を書いて、片仮名の「ク」に直したとしても、直された字が「タ」であり、投票者は「タ」と読まれるものとして、放置している)から、甲票記載の氏「アタ」を「足立」と認め得ると仮定しても、「キタマ」の頭文字の「キ」が、「菊次郎」の「キ」に合致することだけで、足立菊次郎に対する、有効投票と判定すべきではない。又これを「キクマ」と解すると仮定しても、「キクマ」と「菊次郎」とは、音及び字体その他において異り、到底菊次郎の有効投票とは、なり得ない。
(3) 甲票記載の氏名に類似する者として、大野町に居住する、足立喜代馬(きよま)、足立キクヱ(同氏同名の者二名あり)、足達玉喜(たまき)の四名あり、甲票を投票した者の意思は、あるいは右四名の何れかに投票したのではないかと推測され得るが、同人等は、いずれも、本件選挙の候補者ではないから、同人等に対する投票とすれば、無効である。
(4) 足立菊次郎は、被告に対する訴願において、同人の幼名を「キクマ」と称した旨主張しているが、かゝる事実は存しない。従つて、甲票を同人の有効投票と認むべきではないと述べた。
五、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする」との判決を求め、次の通り答弁した。
六、原告主張の二、三の事実は認める。但し、甲票は初めから「アキタマ」と記載してあつた。四の事実は、甲票が足立菊次郎の有効投票でないとの点は、これを争う。
甲票の「キタマ」の「タ」は、「ア」の「」と比照するに字体を異にし、前者は、最初に平仮名の「く」の字を書き、それを片仮名の「ク」の字に直したものであることが認められ、候補者中「アチキク」を冠する者は、足立菊次郎以外には存せず、また大野町には「アチキタマ」若しくは、「アチキクマ」なる者存しないから、甲票は、同人の有効投票と認べきである。原告主張の四の(3)の四名が、大野町に存在し、候補者でないことはこれを認める。しかし、選挙人が、候補者にあらざる者に、投票することは、稀有の事例で、特別の事情の存しない限り、候補者に投票したものと、認むべきであるから、甲票は、足立菊次郎に投票した有効なものと認むべきである。
七、右の如く、足立菊次郎の有効得票数は、甲票と合せ六十二票となるから、くじによつてなつた、原告の当選は当然無効というべく被告のなした本件裁決は、正当であると述べた。
(証拠省略)
三、理 由
一、甲票の記載中二字目の「タ」に濁点存したか否かと、五字目が「タ」であるか、「ク」の点を除いて、原告主張の二、三の事実は、当事者間争なく、また、足立菊次郎が法定の期間内に、訴願を提起したことも、弁論の全趣旨に徴し、明らかである。
二、よつて、甲票の右争ある部分記載について考察する。
(1) 原告は、甲票は現在「アキタマ」と記載されているが、二字目の「タ」の濁点は、後日附加されたものであると主張し、附加された、日時を明示しないけれども、その弁論の全旨に徴すれば、少くとも大野町選挙管理委員会が、足立菊次郎の異議申立により、甲票を調査した後に附加されたと主張されたというかのようである。しかし、右主張に副う、城井正夫の証言及び同証言により成立を認め得る、甲第二号証の記載、並びに甲第三号証の記載(その原本の記載とも)は、信用し難く、却つて、右城井正夫の供述によれば、大野町選挙管理委員会は、足立菊次郎の異議申立により、甲票の調査をなした後、全委員の面前において、甲票を他の無効投票全部とともに、封緘した上各委員これに封印を施し、厳重に保管されていたところ、足立菊次郎の訴願の提起により、被告から、右無効投票全部の送付を求められたため、右封印した無効票の封緘を、全委員立会の上調査し、異状なきを認めて、被告に送付した事実が認められ、この事実を、成立に争ない乙第一号証のこの点に関する記載と合せ考えると、甲票は、最初から、現在見る通り、二字目の文字は「」であると認むるのが相当で、これに反する証拠はないから、この点に関する原告の主張は、採用しない。
従つて、甲票の第三字目までは「ア」と見るべきところ、本件選挙の候補者中、右に類似の氏を有する者としては、「アチ」以外に存しないことは、当事者弁論の全趣旨に徴し、明らかであつて、これを検証の結果と合せ考えると、右「ア」は、「アチ」を指すものと認むるのが、投票判断の法則に合致するものというべきで、(なお、この点は後記三参照)これは甲票二番目の字が、仮りに原告主張のように、「タ」であるとしても、これを「アチ」と認むべき結論においては、軒軽がない。これに反する原告の主張は、当裁判所の組みしないところである。
(2) つぎに、甲票五番目の字は、原告主張のように「タ」と解すべきか、あるいは、被告主張のように、「ク」と解するのが相当であるかについて、考察する。
検証の結果によると(検証調書添附の写真を含む)、右文字は一応「タ」とも読まれ得るけれども仔細に右五番目の文字を見ると、同文字は、最初平仮名の「く」と書いて、後にこれを片仮名の「ク」に改めたものであることが字自体から(特に止め工合を見よ)窺われるばかりでなく、この文字と、甲票二番目「」の字の濁点を除いた「タ」の字との字体及び書体並びに筆勢によるその傾斜の工合等を対照し、前者の筆の止め方に留意するときは、(なお、後記三認定の事実、特に「アチキタマ」なる人が実在しない点を斟酌すれば)投票者は、該文字を片仮名の「ク」と書き直して、存置したものと認むるのが相当でこの認定に反する証拠はなく、又これに反する原告の主張は採らない。なお検証の結果によれば、「」は「ヂ」の誤記と認むるのが相当である。
三、従つて、甲票の記載は、これを「アチキクマ」と読むべきところ、原告は、事実摘示四の(3)記載の通り甲票は、候補者にあらざるものを記載したものとして、無効であり、又同四の(2)末尾記載の通り、足立菊次郎の有効投票とはなり得ないと主張する。
しかし、投票の記載が候補者以外の他の実在する人の氏名を、完全明確に記載している場合には、これと類似の氏名の候補者があつても、その候補者の氏名の誤記と認めるよりは、候補者でない実在人に投票する意思が表現されているものと認め、その投票を無効とすべきであるが、投票の記載が、候補者以外の実在人に類似するというだけでは、他に格別の首肯するに足る事情の認められない限り、その投票が右実在人に投票されたものであるが故に無効であるとすることはできない(昭和二四年(オ)第二七号同二十五年七月六日最高裁判所第一小法廷判決参照)。当事者弁論の全趣旨と、証人森進の証言によると、大野町には、「アチキクマ」又は「アチキタマ」なる人物は実在しないことが、明らかであるから、本件投票を、足立喜代馬、足立キクヱ足立玉喜のいずれかに対する投票として、無効であるとの主張は、理由がない。しかして、投票は、候補者中の何人かを選挙しようとする。選挙人の意思表現の手段であるから、投票記載の氏名が正確には、候補者の氏名と一致しなくても、その記載の全体的考察から、真面目に何人かに投票したことが判断し得られる限り、可及的これを当該候補者に対する有効投票と認めねばならない。以上の見地において本件投票を考えるに、候補者中「アチ」の氏を称する者は、前認定の通り、足立菊次郎と、足立隆吉の二人だけであつて、本件投票の記載は、最後の「マ」の字を除いて、足立菊次郎の氏「足立」と名のうち「菊」とが合致し、その外に、本件投票の記載と類似の候補もないから、これを候補者の何人を記載したかを確認し難いもの、又は候補者以外の者の氏名を記載したものとして、無効とするよりは、足立菊次郎の有効投票と認めるのが相当である。これを覆えすに足る証拠はない。従つて、足立菊次郎の有効得票数は、本件甲票を加算して六十二票となるから、くじにより、当選人と決定した原告の当選は無効であり、その旨を宣言した被告の裁決は正当で、原告の本訴請求は失当であるから、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文の通り判決する。
(裁判官 二階信一 竹下利之右衛門 秦亘)